ふくろうのゲームレビュー

主にレトロゲーのレビューをします

パラッパラッパーにおける能動的要素の問題点

1 はじめに

ゲームにおける能動性は肯定的な文脈で論じられることが多い。論じ方は論者によって様々であるが、その根底には、受動的なゲーム要素からの脱却という視点があるのだろう*1。一方で、そのような能動的であることを評価する見解に対して批判が向けられることもしばしばあるが、大抵は、受動的要素を評価する立場から能動的要素の問題点を指摘するような的確な批判ではなく、論そのものに対する攻撃にとどまることも少なくない。

では、要素が能動的であるが故に生じる問題はないのだろうか。紙幅の関係、もとい筆者の気力との関係で、本稿では、「パラッパラッパー(PS1)」における能動的要素に対象を絞って、その問題点について検討する*2

はじめに断っておくが、本稿は、ゲーム要素の能動性と受動性のいずれか一方に批判を加えるものではない。ましてや、いずれか一方を重視すべきと主張するものでもない。

2 パラッパラッパーにおける能動的要素の特徴

元祖音ゲーとして有名な本作には、他の音ゲーとは大きく異なる特徴がある。多くの音ゲーでは、高いスコアを獲るためにはノーツに合わせてとにかく正確にボタンを押さなければならない。これに対して、本作では、表示される譜面をベースにアレンジを加えてボタンを押すと、上手くアレンジできていると評価されれば高いスコアを獲得できるというシステムとなっている(アドリブシステム)*3

ここで、前者の性質が、専らゲームから提供される課題(ノーツ)への対処であり、対処できなければ環境(スコア)が悪化するという点で受動的であるとすると、後者の性質は、課題が抽象的かそもそも存在せず、アレンジするか否かはプレイヤーの選択に委ねられており、アレンジしなかったからといって環境が悪化するわけではないという点で能動的であるといえる*4

本作の興味深い点は、このアレンジに対する評価基準がきちんと存在していながらも、その基準が伏せられている上に、何度遊んでも基準が良く分からないというところにある(もっとも、後述するように最高評価の出し方は確立されているのだが)。アレンジに対する評価基準が明らかになってしまうと、ハイスコアを狙うプレイヤーは、その評価基準通りのボタンの押し方ができるかという遊び方しかしないようになってしまい、結局、画面上にノーツが表示される状態と変わらなくなってしまう。評価基準が良く分からないからこそ、アレンジをするか否か、アレンジをするとしてどのようなアレンジをするのかといったことをプレイヤーが考える余地が生まれるのであり、プレイヤーの能動的行動を誘発する。

3 評価点の検討

ここからは本作におけるアドリブシステムの具体的な検討に入るが、能動的であるが故の問題について検討するに先立って、能動的であるが故の良さについても簡単に触れておこう。本作のレビューとして、あっさりと「アドリブが楽しかった」と評価されることがあるが、この要素のどのような点に魅力があるのかをもう少し詳細に言語化したい。

⑴ 表現欲求

表現欲求と呼ぶか自己実現欲求と呼ぶか名称はともかく、人間は自己の思考や感覚、自分らしさを外部に発露させたいという欲求を持つ。本作ではアドリブによって自分なりのリズム感をラップに乗せて表現することができるため、プレイヤーの表現欲求を満たす。

⑵ 一回性

ノーツに合わせてタイミング良くボタンを押す形式の音ゲーでは、基本的に表示される譜面やノーツの順序は毎回同じである。そのため、プレイヤーはプレイする度に、何度も繰り返し同じ体験をすることになる。

他方で、本作のように譜面をアレンジしてボタンを押す形式では、アレンジの方法にほとんどルールはないため、毎回全く同じアレンジを再現しようとしない限り、プレイごとに自然とアレンジの方法に差が生じる。或いは、前回のプレイでアレンジが上手いと評価されなかったために、前回とは異なるアレンジを試してみるといった具合に、プレイヤーの意思でアレンジの方法を変えることもある。つまり、アドリブシステムという要素によって、プレイヤーはプレイごとに少しずつ違った体験をすることができるようになっている。

⑶ 駆け引き

本作のスコアに関するシステムについて、アレンジが上手いと評価されるとスコアが高くなるが、反対に、下手だと評価されるとスコアが下がるという仕様となっているところ、上述のとおり評価基準は不明であるため、アドリブにはスコアが上がるのか下がるのか分からないという不確定性がある。

その一方で、表示される譜面に従ってプレイすれば一定のスコアが保証されており、プレイヤーは安全策として、元の譜面通りにボタンを押すという選択をすることができる。

つまり、表示される譜面から外れてアレンジをするという行動にはリスクとリターンの構図が存在し、ここに一種の駆け引きが生まれている。

⑷ 快適性

人が持つ感性はそれぞれ異なる以上、どれだけ綺麗な譜面が組まれたとしても、プレイヤーが持つリズム感が譜面のリズムに合わないということも往々にしてあり得る。ノーツに従ってプレイする音ゲーでは、基本的にそこで生じる違和感を解消することができないが、アドリブシステムによると専ら自分の感性に従ってリズムを刻むことができるため、違和感なく音楽とゲームを楽しむことができる。

⑸ 小括

本作のアドリブシステムは、音楽に合わせてリズムに乗るという人間が本能的に行う行動を、ダイレクトにゲームに落とし込んだものであり、ゲームが譜面を与える形式よりも自然な形で、プレイヤーはリズムに乗る楽しみを感じることができる。

なお、以上で挙げた点はあくまで能動性に起因するものに限定しており、本作全体として評価すべき点はこれだけにとどまらないが、本稿では割愛する。

4 問題点の検討

それでは、アドリブシステムの問題点はどこにあるのか。能動的要素、すなわちゲームの主導権(の一部)をプレイヤーに認める要素が、プレイヤー又はゲームそのものに及ぼす弊害について検討する。

⑴ 遊びやすさ

ボタンを押すタイミングがゲームから与えられたノーツに依存する場合、プレイヤーが合目的的に取り得る行動はタイミング良くボタンを押すことのみであり、ルールとして極めてシンプルで分かりやすい。プレイヤーはどのような行動をとれば成功又は失敗となるのかを直感的に把握することができ、プレイヤーがとるべき行動が明確であるため、ゲームは万人にとって遊びやすく熱中しやすいものとなる。

これに対して、アドリブシステムの下では、プレイヤーがどのような行動をとるかはプレイヤー自身が考えて決定しなければならないのであり、プレイヤーがとるべき行動というものが明確に存在するわけではない。そのため、プレイヤーによってはそもそも何をすればいいのかが分からず、或いはどのようにアレンジするかを考えることを放棄してしまい、適当にボタンを押すようになる等アドリブを断念してしまう。

プレイヤーがゲームに対して主導権を持つということは、裏を返せば、プレイヤーが主導しない限りゲーム(要素)の魅力を引き出すことができないということであり、その前提としてプレイの内容を能動的に考えることが要求される。特に本作の場合は、アドリブでメロディーを創るというゲーム要素であるため、よりクリエイティブな思考がプレイヤーに求められる。

しかし、与えられた課題に対してどのように対処するかを考える受動的な思考であればともかく、創造力や発想力が直に必要となる能動的な思考を全てのプレイヤーが容易にできるわけではない。また、せっかくの娯楽であるため難しいことを考えずにゲームをプレイしたいと考え、能動的な思考をすることを忌避するプレイヤーもいるだろう。つまり、能動的に思考するというプロセスは、それ自体がプレイヤーにとって1つのハードルとなり得る。そして、このハードルがプレイヤーに遊びにくさを感じさせる原因となる。

ただし、この思考のハードルは、能動的要素に制約を課す又はベースラインを設定することにより縮小することが可能である。本作でも、基本的にアドリブで最初に押すボタンはお手本と同じでなければならないという縛りがある上に、画面上に表示される譜面をベースにすることができるため、プレイヤーに要求される思考の強度が大きく緩和されており、基準となるものが何もない状態で完全な自由演技をするよりも遊びやすくなっている。

要素の能動性をどこまで強くするかによってゲームの遊びやすさが変化し、プレイヤーのプレイに対するモチベーションや作品の印象にも少なからぬ影響を及ぼす。万人受けする作品を作ることが必ずしも正解であるとは思えないが、仮に能動的要素を取り入れつつ広く一般に遊ばれる作品を作ることを目指すのであれば、この思考のハードルについてきめ細やかな調整が必要となるだろう。

⑵ 周回性

遊びやすさについての議論が1回のプレイ内で生じる問題であるとすると、繰り返しプレイする上で生じる問題として、プレイヤーがどれだけ長くゲームを遊ぶことができるかが議論の対象となる。

プレイヤーにゲームを長く遊ばせるための1つの方策として、ゲームを高難易度にしてクリアできるまで何度も挑戦させるということが考えられる。多くの音ゲーでは難易度の調整が可能であり、ノーツの密度を高めることや運指が難しくなるようにノーツを配置することで高難易度の譜面を生み出すことができる。高難易度譜面はプレイヤーの達成欲求を刺激し、プレイヤーはクリアするまで何時間でも同じ譜面で遊ぶことができる。

他方でアドリブシステムの下では、具体的な譜面の設定はプレイヤーの役割であるところ、基本的にはプレイヤーがプレイ中に譜面を即興で考えて、そのとおりにボタンを押すだけであるから、通常のプレイ方法では達成欲求が生じにくい。

また、表現欲求又はアドリブの評価との関係で、プレイヤーによっては、気に入った/評価が高いアレンジができるようになるまで何度もプレイして試行錯誤をすることが期待できるようにも思えるが、あくまでアレンジでありバリエーションにも限りがある以上、期待されるプレイ回数も限定的であるし、そもそもそのようなプレイヤーがどれほど存在するのか疑問である。

アドリブシステム単体が持つ周回性は、受動的要素のそれと比較すると相対的に低いと考えられる。

⑶ システム調整の難しさ

本作は、巷では「連打ゲー」と呼ばれることがある。これは、プレイ中に一定のスコア(評価「COOL」)を達成すると、お手本や譜面の表示が消えた状態でプレイヤーが完全な自由演技をするモードに突入するのだが、ここで高いスコアを出すためには単純にボタンを連打するという攻略法が有効であることに由来する*5。本来このモードでは、プレイヤーが制限なく自由にアドリブを楽しみながら上手なアドリブを目指すことが期待されているようだが、実際には、連打という抜け道的な方法が攻略法として確立してしまっている*6

これにはいくつかの原因が考えられるが、1つには、上述した思考のハードルと遊びやすさの問題がある。数十秒から長ければ数分間にわたって基準にするものが何もない状態でアドリブをする、すなわちオリジナルの譜面を考えて生み出し続けることは、プレイヤーに強度の思考を強いるものである。そこで、このハードルを回避する手段として、思考のプロセスを経ず、誰でも簡単かつ楽に実践できる攻略法が確立してしまった。

しかし、このようなゲームが本来想定していたものと異なる攻略法が確立した原因は、プレイヤー側のみにあるわけではない。ゲーム側の問題として、アドリブ評価基準の調整が不十分であることも原因の1つである。すなわち、そもそもアドリブとはおよそ認められないプレイに対しては高い評価をつけないようゲーム側でシステムを調整していれば、連打という抜け道が確立することはなかったといえる。

もっとも、これはあくまで理想論であり、現実的にはそのような調整をすることは容易ではないと考えられる。受動的要素の場合、プレイヤーはゲームに与えられた課題に対処するのみであるから、基本的にプレイヤーはゲームが想定するとおりに行動するが、プレイヤーに能動的な行動を認める場合には、その程度にもよるが、ゲームがプレイヤーの取り得る全ての行動を想定できるわけではなく、プレイヤーを完全にシステムのコントロール下に置くことは困難である。そのため、プレイヤーの能動的な行動に対する反応の調整も難しく、本作のように単なる連打に対して高評価という反応を返してしまうといったことが生じる。つまり、能動的要素には、システム調整を不完全なものとしてしまう危険が内在しているといえる*7

5 おわりに

以上、本作における能動的要素が能動的であるが故に生じる問題点について検討した。プレイヤーにゲームへの能動的な参加を求める要素を搭載したとして、プレイヤーがその要素を楽しむことができるかという問題と、その要素を通じてゲームに参加できるか、いつまで参加し続けられるかという問題は異なる問題である。

特に、最近では娯楽が増えすぎた結果、作品の面白さを十分に発見する前にグラフィック等の表面的な要素だけに着目してプレイを放棄してしまうプレイヤーも散見されるところであり、より遊びやすく作品の面白さを早く伝えやすいデザインの重要性が増していると考えられる。

能動的要素が受動的要素とは異なる魅力を持つことは間違いないが、能動性を強めることによる弊害も作品ごとに適切に評価されるべきであろう。

 

本記事で引用した画像の著作権者の表示
©Sony Interactive Entertainment Inc. ©Rodney A.Greenblat/Interlink

*1:私見では、能動的な部分と受動的な部分は1つのゲームの中で混在し得るため、「受動的なゲーム」という表現は正確ではなく、あくまで要素レベルで能動的か受動的かを判断するという趣旨で「受動的なゲーム要素」という表現をしている。

*2:本稿で問題にしている能動性は、ゲームと映画を区別する、自分で操作するか否かという意味での能動性とは次元が異なる。

*3:厳密には、本作では「スコア」と「評価(GOODやCOOL等)」が分かれており、ステージのクリアに関係するのは「評価」であるが、本稿では便宜上スコアと混同して扱う。

*4:ゲーム要素の能動的/受動的の区別については、次の論稿(http://hp.vector.co.jp/authors/VA008837/docs/cgt/note6.htm:執筆者不明)で提示された基準が明解であったため参考にした。

*5:詳しく知りたい方はYouTube等のプレイ動画を参照されたい。壊れたパラッパを見ることができる。

*6:『パラッパラッパー』誕生秘話満載! 松浦雅也&吉田修平スペシャル対談・完全版を独占公開! – PlayStation.Blog 日本語

*7:もっとも、バグ技やゲームバランスを崩壊させる要素のようなシステム調整が十分でないからこそ生まれる要素も、それはそれとして面白みを感じ得るため、システム調整が不完全であることが必ずしも失敗であるとはいえないだろう。

マリーのアトリエ(PS)レビュー

評価(5段階)

ストーリー ☆☆☆
システム  ☆☆☆
作りこみ  ☆☆☆☆
サウンド  ☆☆☆☆
難易度   ☆☆
総合    ☆☆☆☆

良かった点

シンプルな構成でゲームのテンポが良い

本作では、「調合・採取・戦闘」の3要素を柱にゲームが構成されている。依頼を受けてアイテムを調合し、調合に必要な素材を採取し、調合したアイテムを使いながら敵と戦闘する。イベントや依頼をこなして採取できる場所や調合できるアイテムを増やす。これをひたすら繰り返すというシンプルなゲームである。

ゲームの形式は、ときメモなど初代プレステのシミュレーションゲームによく見られるもので、ほとんどコマンド選択のみで操作が完結する、1つ1つの要素が単純で分かりやすい、たびたび発生するイベントも短く簡潔でゲームの流れを邪魔しないといった特徴がある。

この単純さ、簡潔さこそがゲームのテンポを形作る上で重要であり、例えばイベントやゲームの要素をやたら大量に盛り込む、事あるごとに凝ったアニメーションを挿入するなどの工夫は、作り込みの観点からは評価できるものの確実にゲームのテンポを悪くし、プレイヤーがストレスを感じる原因となる。

この点、本作では、ゲーム内の要素が全て単純、簡潔であるが故に、調合→採取→戦闘のサイクルをサクサク進めることができ、非常にテンポ良くゲームが進行する結果、ストレスなく時間を忘れてゲームに熱中することができる。

マルチエンディングで周回プレイも楽しい

エンディングについて、初見で遊んだプレイヤーの多くが迎えるであろうノーマルエンドに加えて、特定のレアアイテムを調合することが条件のエンディングや戦闘を頑張って強ボスの討伐に成功したことが条件のエンディングなど、エンディングが複数用意されている。

そもそも本作ではクリア条件が設定されておらず、ゲーム内で5年経過したら強制的にエンディングを迎えるというシステムになっている。そのため、プレイヤーは5年間ひたすら調合を頑張るもよし、積極的に戦闘してレベル上げをするもよし、ただただサボり続けるもよし、といった具合に、ゲームの遊び方にかなりの裁量が与えられており自由度が高い

そして、それぞれの遊び方や条件の満たし方によって迎えるエンディングが変わるため、別のエンディングを回収するためには1週目とは異なる遊び方をする、より効率的に攻略するなどの工夫が必要となり、2週目以降も楽しめる仕様になっている。

また、いくつかのエンディングでは、バッドエンドとまでは言えないが、やや引っかかる終わり方をするため、別のより良いエンディングを見たい=もう1週遊びたいという気持ちにさせてくれる。

気になった点

戦闘要素の作り込みが微妙

戦闘要素について、3Dの盤面を活かした独特な戦闘システムであることに加え、攻撃や回復、補助効果があるアイテムを調合して戦闘で使えるという特徴があり、一つのRPGとしてしっかりと楽しむことができた。

もっとも、戦闘要素の作り込みに関しては気になった点もある。

戦闘では基本的に、主人公の他に仲間を2人選んでパーティを作る。仲間にできるキャラはイベントをこなすたびに徐々に増えていくのだが、特に途中で追加されるキャラについて既存のキャラとの性能差をそこまで感じられず、追加されたキャラを使うメリットをあまり感じられなかった。

また、武器や装備の種類についても、隠し武器を含めても数種類しかないため、標準的なRPGと比べるとやや見劣りする。

ただし、本作における戦闘要素があくまでメインとなる3要素のうちの1つであることを考えると十分過ぎるほどのクオリティであると思う。

イベントを回収しづらい仕様

本作では、登場する各キャラにそのキャラを掘り下げるイベントが用意されており、あくまで調合依頼のオマケ的な要素ではあるものの、イベントを通じてゲームの穏やかな世界観をより楽しむことができる。

もっとも、何をすればイベントが発生するかはゲーム内で説明されず、発生条件もやや複雑であるため、攻略サイトなどを見ずに普通にプレイしているだけでは多くのイベントを回収できないまま終わってしまう仕様になっている。

イベントの発生が事実上ランダムになることによる面白さはあるものの、せっかく多数のイベントが用意されており、イベントによっては専用BGMも設定されているだけに、イベントを回収しづらいことにもったいなさを感じた。

総評

テンポ良くたんたんと調合や採取、戦闘のシミュレーションを楽しむことができるため、時間を忘れて攻略に没頭できるゲームである。スローライフを体験できるRPGはいろいろあるが、その中でもよりシステムのシンプルさを求める方にオススメできる。

なお、2024年現在では本作のリメイク版が発売されており、基本的なシステムはそのままに、グラフィックをはじめ複数の要素が現代向けにアレンジされたようである。

新しくなった本作ももちろん面白いだろうが、レトロな絵柄や雰囲気を楽しむことができる点で無印版にも今なお魅力がある。

 

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逆転裁判2考察-残された遺書の謎と真の犯行動機-

※本記事は逆転裁判2第4話に関する重大なネタバレを含みます。未プレイの方は閲覧しないことをオススメします。

1 はじめに

本記事では、逆転裁判2の第4話において、事件のカギを握っていたものの、とうとう最後まで明らかにされなかった由利恵の遺書の内容を、作中の登場人物のセリフや証拠物等から考察する。

その上で、作中では立証されなかった王都楼の真の犯行動機を推察する。

ネット上では「王都楼はクズだ」という評価が多数見受けられるが、この考察を通じて、実は王都楼にも同情の余地があるのではないかという一説を示したい。

2 霧緒が語るストーリー

(1)ストーリーの内容

この手の検討では客観的な証拠を先に検討するのがセオリーと言われているが、シナリオを忘れてしまった人にもある程度分かるよう、本記事では敢えて華宮霧緒(証人)の供述から検討しよう。

シナリオ上、具体的な事件の背景事情や遺書の内容、王都楼の犯行動機については、唯一、霧緒のみが詳細に説明する。

霧緒の語るストーリーは次のとおりである。

・王都楼(犯人)は昔、由利恵と付き合っていたが、由利恵を散々もてあそんだ末に捨てた。
・由利恵は王都楼のマネージャーという立場でもあったため、王都楼のスキャンダルのもみ消しとして、王都楼が所属する会社から藤見野(被害者)が所属する会社に移籍することとなった。
・その後、藤見野と付き合って婚約までしたが、そのタイミングを見計らって王都楼がライバル関係にあった藤見野に対して、由利恵が自分の元恋人であることを暴露し、藤見野は王都楼に対するプライドから由利恵との婚約を破棄した。
・これに絶望した由利恵は自殺した。
・由利恵は死ぬ前に遺書を遺しており、そこには王都楼に酷い仕打ち(もてあそんで捨てられた上に藤見野との結婚を妨害されたこと)を受けたことが書かれていた。
・由利恵の自殺の第一発見者である藤見野は、遺書を発見したが王都楼の決定的な弱みになるため遺書を隠し、王都楼を失脚させるために、王都楼が最もダメージを受けるタイミングで遺書を公表しようとしていた。
・と、藤見野から聞いた。
・事件当夜に藤見野が遺書を公表しようとしていたことを知った王都楼は、遺書を回収するため殺し屋を使って藤見野を殺害し、遺書を回収したに違いない。

これだけ聞くと、王都楼はとんでもない奴だという感想を持つのも自然である。

しかも、王都楼は、由利恵の死の真相や遺書の内容について何らかの反対ストーリーや弁解を述べることはなく、弁解を述べるどころか急に悪人面になって、犯行を認めて開き直った態度を取るようになる。

プレイヤーとしては、霧緒のストーリーを覆す事情が(最後の尋問の時点まで)なく、王都楼の態度に対する怒りも相まって、霧緒のストーリーがもっともらしい「真実」であると考えることになる。

(2)検討

しかし、よくよくこの霧緒の供述を分析してみると、全て霧緒が直接体験した経験に基づくというわけではなく、藤見野から聞いた話や霧緒の想像が混在しており、内容的にその多くは藤見野から聞いた話で構成されていると考えられる。

そして、藤見野が霧緒に言っていたことが正しいのか、ウソをついていないかを検討してみると*1、まず、以下で検討するとおり上記のストーリーには重要な部分で客観的な事実に反する(「証拠とムジュンする」)ところがある。

しかも、上記のストーリーは全て王都楼の悪行を示す王都楼に不利な話であるところ、そもそも藤見野は王都楼とライバル関係にある上に、以下のとおり偽の遺書を使って王都楼を失脚させようとしていたのであって、藤見野が王都楼を貶めるストーリーをでっち上げて、ウソをつく動機も十分にある。

こうして冷静に見ると、上記のような霧緒の(というか藤見野の)ストーリーはかなりあやしい(供述の信用性に乏しい)ことが分かるだろう。

では、いったん霧緒のストーリーは脇において、他の証拠から遺書の内容等を検討してみよう。

3 遺書の内容

(1)シナリオの確認

霧緒が上記のような話をした後、実際に藤見野が公表しようとしていた遺書が発見されるが、筆跡鑑定の結果、その遺書はまさかの藤見野により偽造されたものであることが判明する。

しかし、遺書の話はそれ以上追及されることなくそこでおしまい。話題が変わってそれ以降、遺書の話は登場しないため、本物の遺書の内容はうやむやになったままゲームはエンディングを迎える。

そもそも、由利恵が遺書を遺したことを示す直接の証拠はないため、由利恵が本当に遺書を遺したのかということ自体も本来問題となり得るのだが、シナリオ上、誰もこの点を争わず、由利恵の遺書があったことを前提に話が進むため、とりあえず由利恵は遺書を遺したということにしておこう(一応、検事みっちゃんは、由利恵が遺書を遺したと考える根拠として、由利恵の死体発見時に由利恵の手にインクがついていたことを挙げ、なるほど君もこの理由で納得していたが、これだけで本当に遺書があったことを証明できているといえるかはかなり疑わしいだろう)。

(2)検討

さて、本題に入ろう。

まず、藤見野は、「王都楼が由利恵に酷いことをした」という内容の遺書を偽造したが、本物の由利恵の遺書に王都楼の悪行が書いてあるのであれば藤見野は敢えてこのような遺書を偽造する必要はないため、本物の遺書にはそのような内容は書かれていなかったと考えられる。

そして、本物の遺書に王都楼の悪行が書かれていない以上は、「藤見野は、遺書が王都楼にとって決定的な弱みになるため隠した」というストーリーは成立せず、藤見野は別の目的があって遺書を隠したということになる*2

別の目的とは何か。由利恵に対する純粋な嫌がらせということもあり得なくないが、遺書に藤見野にとって不利なことが書かれていたため隠したと考える方が素直だろう。

実はこの点、王都楼と由利恵が所属していた事務所の俳優の荷星が、藤見野が遺書を隠した理由について、「ボク、思うんですよ。遺書の中に、ツゴウの悪いことが書いてあったんです!…イサオさん(藤見野)にとって。」と述べて、同じような推論をしている。

荷星はそのように考える根拠として、由利恵が亡くなる前に「ワルいオトコにつかまってしまった」と友達に相談していたことを挙げ、「ワルいオトコ」=藤見野であると推察する。

その直後からのシナリオの流れにより、荷星の推論は忘れ去られ、「ワルいオトコ」=王都楼という構図が出来上がり、プレイヤーはこちらに引っ張られるような展開になっているのだが、由利恵が亡くなる前、すなわち王都楼ではなく藤見野と付き合っているタイミングで相談していること、及び遺書に王都楼の悪行が書かれていないことから、荷星の推論通り「ワルいオトコ」とは藤見野のことを指すと考えられる。

そしてこれは、遺書の中に藤見野にとって都合が悪いことが書かれていたことと整合する。

したがって、本物の遺書には、王都楼の悪行ではなく、むしろ藤見野の悪行が書かれていたと認められる。

4 由利恵の死の真相

(1)藤見野の悪行

では、藤見野の悪行とはなんだったのか。これを検討する前提として、王都楼、藤見野、由利恵の間に何があったのかを考える必要がある。

まず、王都楼の部屋に、由利恵の字で「愛をこめて。ユリエ」と書かれた由利恵の写真が飾られていたという事実に着目する。

この事実から、昔、王都楼が由利恵と付き合っていたことと、今でも王都楼は由利恵のことを心に留めている(未練があると言ってもよいかもしれない)ことを推認できる。

また、荷星によると、王都楼は女遊びが激しく、「思い通りにならなかったオンナは1人だけだ」と発言していたという。

荷星は、この王都楼が思い通りにできなかった女とは霧緒のことであると言うが、後に王都楼が、「ちょっとアマいカオすりゃあいい。…チョロいもんさ。霧緒もそう。殺し屋だってそう。」という発言をしていることから、霧緒については思い通りにできた(と少なくとも本人は思っていた)のだろう。

そうだとすれば、王都楼が言っていた思い通りにならなかった女とは、霧緒ではなく由利恵のことであると考えられる。

そして、これらの推認を踏まえると、王都楼と由利恵は昔付き合っていたものの、王都楼の意思に反して由利恵が王都楼をフッたため2人は別れたのだと考えられる。

なお、霧緒のストーリーによると、王都楼は由利恵を弄んだ末に捨てたとされるが、仮にそうであれば、王都楼が由利恵の写真を今でも飾っていること、由利恵が思い通りにならなかったという発言をしたことは不自然であるため、やはり王都楼が由利恵を弄んで捨てたということは考え難い。

このことは、由利恵の遺書に王都楼に酷いことをされたと書かれていなかったことと整合する。

(2)婚約破棄の理由

次に、なぜ藤見野は由利恵との婚約を破棄したのかについて検討する。

事実として分かっているのは、藤見野と由利恵が婚約発表をしたこと、その3日後に藤見野が婚約を破棄したこと、その後、その日のうちに由利恵が自殺したことである。

この点、霧緒のストーリーによると、婚約発表の後に王都楼が藤見野に対して、昔由利恵と付き合っていたことを暴露したため、プライドを傷つけられた藤見野は由利恵との婚約を破棄したとする。

もっとも、上記の検討を踏まえると、王都楼が昔由利恵と付き合っていたことを藤見野に暴露することは考え難い。

すなわち、霧緒のストーリーのように、仮に王都楼が由利恵を弄んで捨てたのであれば、藤見野にそのことを暴露することで藤見野に屈辱感を与えることができるかもしれない(「オレが捨てた女と結婚www」という趣旨で)ので、暴露したという説も筋が通る。

しかし、上記検討のとおり王都楼が由利恵にフラれたのだとすると、昔付き合っていた事実を暴露することは、例えば由利恵が藤見野に事の顛末を話すことにより、藤見野に屈辱感を与えるどころかフラれたという弱みと優越感を藤見野に与えることにつながるため、不合理である。

やはり、霧緒のストーリーはおかしい。

婚約破棄が王都楼のせいではないとすると、その原因はもっぱら藤見野にあると考えるのが自然である。

そして、もっぱら藤見野の都合で婚約が破棄されたことを前提に、婚約がわずか3日で破棄されたことを考えると、そもそも藤見野は、婚約を短期間で破棄することを計画して婚約発表をした可能性が高い。

しかも、藤見野のファンである大場によると、この婚約発表は「それはそれは大げさな」発表であり、仮に敢えて大げさな婚約発表が行われたのだとすれば、この婚約にかかる一連の計画は、藤見野が「藤見野と由利恵が婚約した(=藤見野が由利恵のモノになった)、そして捨てた」という事実を外部に知らしめることに目的があったと推察される。

かつて由利恵と付き合っていたがフラれ、それでもまだ未練がある王都楼がこれを知れば、屈辱感ないしショックを受けることになる。

つまり、藤見野は、王都楼に屈辱感ないしショックを与えるために、由利恵と婚約発表をしてから捨て、これを王都楼に知らしめたのだと考えられる。

これは、由利恵が亡くなる前に「ワルいオトコ(=藤見野)につかまってしまった」と友達に相談していたという事実と整合する。

また、これは、霧緒の(藤見野の)ストーリーをきれいに反転させたストーリーとなっている(王都楼/藤見野が、由利恵を弄んで捨てたことを、藤見野/王都楼に伝え、屈辱感(ショック)を与えた)。

5 王都楼の真の犯行動機

王都楼は犯行動機について、今回藤見野が王都楼に不利になるような遺書を公表しようとしたことをきっかけとして、藤見野が以前から王都楼の前を「ちょろちょろして目障りだった」ことが動機であると述べる。

しかし、これまでの検討を踏まえると、犯行動機はむしろ、藤見野が由利恵を弄んで捨てた上に遺書を隠滅し偽造して、死後も由利恵を自分のために利用したことへの復讐と、由利恵の名を語った偽の遺書を公表される前に自分の手で消したかったという、王都楼に藤見野殺害の罪を着せようとした霧緒の犯行動機*3とほぼ同じものだったのではないかと推察する。

藤見野への復讐という点については、王都楼の部屋に、それも王都楼が、コロシヤ(実行犯)が藤見野を殺害しているところを隠しカメラを通じて見ていた部屋の目立つ位置に由利恵の写真が飾られていたことから、犯行の背景に由利恵への想いがあったと考えられる。

遺書を公表される前に自分の手で消したいという点については、上記由利恵への想いから、由利恵の意思に反する遺書が公表されて欲しくないという気持ちがあったのではないかと推測される。また、わざわざコロシヤに遺書の破壊ではなく、遺書(が入った小物入れ)を回収するよう指示したのは、自分の手で偽物の遺書を消したいという思いがあったからだと推測される。

この王都楼の犯行動機については、供述証拠も含めてほとんど証拠がないため、もはやほとんど推測の域をでないが、筋は通っているのではないかと思われる。

6 おわりに

以上、かなり長くなってしまったが、第4話で残された遺書の謎と王都楼の犯行動機について検討した(かなり長くなってしまったといっても、ところどころで便宜上供述の信用性等の検討を端折っているので、これでもだいぶ分量を削った方ではあるが)。

全体として供述証拠ベースの検討になってしまっており(それも尋問を経ていない供述の)、証拠に基づかない推測も多分に含むため、厳密に考えるとあまり説得的な検討となっていないことは自覚しつつ、そこはゲームの考察ということでご容赦いただきたい。

あくまで推測レベルの考察である。

さて、本記事で検討した内容をまとめると次のとおり。

・王都楼と由利恵は昔付き合っていたが、由利恵が王都楼をフッた。
・その後、藤見野は、王都楼に屈辱感ないしショックを与えるため、由利恵と付き合い、婚約発表までした上で婚約を破棄した。
・これが原因で由利恵は自殺した。
・由利恵は藤見野の酷い仕打ちを書いた遺書を残したが、藤見野はこれを隠した上で、王都楼を失脚させるために、王都楼が由利恵に酷いことをしたという内容の遺書を偽造した。
・藤見野は霧緒に対して虚偽の遺書とストーリーを伝えた(その上で霧緒に、遺書を公表しておおとろを失脚させる計画の協力を求めた)。
・事件当日、藤見野は由利恵の偽の遺書を公表しようとしたが、これを知った王都楼は、由利恵を弄んで2度も自分の利益のために利用したことへの復讐と、由利恵の名を語る遺書を公表される前に自分の手で消すことを動機として、コロシヤに藤見野の殺害を依頼した。

どうだろうか?このように考えると、最初のイメージとだいぶ違って王都楼にかなり同情の余地があるように感じられないか。

この考察の真偽のほどはもちろん不明だが、こんな裏設定があっても面白いだろう。

最後に、本記事がきっかけとなって、もう一度逆転裁判2を遊んでみようかなという気持ちになった方がいれば幸いである。

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*1:実はここで検討過程を一段階すっ飛ばしているのだが、そこまで書くと間違いなく多くの読者を混乱させるため割愛した。以下でも、適宜、便宜上検討を省略する。

*2:藤見野が本当に遺書を隠したかということも問題となり得るが、上記と同様に割愛。

*3:藤見野が死亡していることを発見した霧緒は、藤見野が持っていた由利恵の遺書が世間に公表されないよう自分の手で消すために藤見野の死亡した部屋を捜索して遺書を探し、さらに、上記霧緒の(藤見野の)ストーリーに基づき王都楼が藤見野を殺害したと思い込み、由利恵の復讐を果たすために王都楼の指紋が付いたナイフを藤見野の死体に突き刺す等して証拠を偽造し、王都楼に罪を着せた(死体損壊、証拠偽造)。この霧緒の犯行動機については霧緒の口から明確に証言されている。