ロックマン3(FC)レビュー
良かった点
高難易度のボス戦でやりごたえ十分
同シリーズではお馴染みであるが、本作でも各ステージのボス戦がバリエーション豊富かつ高難易度であり、やりごたえが十分にある。
特に本作では敵の体当たりによるダメージが大きい上に、どの敵も(なぜか)体当たり攻撃を多用してくるため、しっかり攻撃を避けないとすぐにゲームオーバーになってしまう。基本的にごり押しによる攻略は許されない仕様となっている。
また、本作からスライディングのアクションが追加されているが、それに伴って、スライディングを使って避けることを前提とした攻撃をする敵も登場し、敵が飛び跳ねた瞬間にスライディングを入力する必要があるなど、よりタイミングを見極めるスキルが攻略において重要となった。
後述するように敵の弱点武器を使用しない限りにおいては、純粋なプレイヤーのアクションスキルが強く求められるボス戦が多く、何度も繰り返し挑戦しがいのあるゲームとなっている。
気になった点
弱点武器使用の有無で難易度の差が激しい
他方で、ボスごとに設定された弱点武器を使うと、ダメージ補正が過剰に大きいため、ボス戦が一気に楽勝になる。通常武器では1発で1ダメージしか与えられないところが、弱点武器を使うとなんと7ダメージも与えられたりする。
弱点武器を使用しないとかなり難しいが、かといって使用すると簡単すぎる、と難易度が両極端であり、非常にバランスが悪い。
この点、前作では、もちろん弱点武器を使うとボス戦を有利に進められるが、例えばクイックマン戦では弱点武器を使っても敵のHPを最大でも半分しか削れず、もう半分は通常武器で頑張らないといけない、ウッドマン戦では敵の攻撃を見切らないと弱点武器を当てられないなど、弱点武器があってもある程度難易度を保つ工夫がされていたように思われる。
対して本作では、特にそのような調整はなく、弱点武器を使うとほとんどのボス戦で容易くごり押しできてしまう。
前作と比較しても、本作におけるボス戦のバランス、難易度調整は不十分であると言わざるを得ない。
序盤中盤に比べて終盤が極端に簡単
多くのアクションゲームでは、序盤はチュートリアル的な役割として簡単に、終盤になるにつれて難易度を上げるというのが基本的な設計であり、それが合理的であるように思われる。しかし、ゲームの構成を大きく3段階に分けることができる本作では、序盤中盤のステージがかなりの難易度を誇る一方で、終盤のステージになるとなぜか弱点武器を使用しなくても一気に難易度が落ちる。
具体的には、終盤のステージでは序盤中盤に比べてステージギミックが単純であり、回復アイテムもこまめに置いてあるため、ステージの道中でゲームオーバーになることはほとんどない。ボス戦についても、敵の攻撃の威力が明らかに落ちる上、攻撃パターンも単純であり、今までのボス戦はいったいなんだったのかというくらいヌルゲーと化している。
調整ミスというよりは、序盤中盤でもプレイヤーが弱点武器を使用して攻略することを前提に、ゲーム全体として難易度を低めに設定して、アクションゲームが得意ではないプレイヤーでも遊びやすいよう仕立てたのではないかと推察する。しかし、弱点武器の使用を前提としても序盤中盤と終盤とでは明らかに難易度に開きがあるため、やはり違和感を禁じ得ない。
処理落ちが頻繁に発生する
自分か敵が発射した弾も含めて画面上で4つほど同時にオブジェクトが動くと、ほぼ確実に処理落ちしてゲームがカクカクするという問題がある。前作ではそこまで処理落ちする場面は多くなかったが、本作では一定時間画面上に弾が残る攻撃をする敵や特殊武器の影響か、処理落ちの頻度が非常に高くなっている。
とあるボス戦では、ほぼずっと画面がカクカクした状態で敵の攻撃を避けたりしなければならず、ある意味で高難易度仕様である。
総評
ボス戦の難易度やゲーム構成についてバランス調整の点で難があるものの、弱点武器に頼りすぎない限りは高難易度でやりごたえのあるゲームとしてトライアンドエラーを楽しむことができる。他方、弱点武器を使用すると簡単になるという意味では、本作はアクションゲームが得意でないプレイヤーにとっても遊びやすいゲームであるといえる。
上記で指摘しなかった細かな点も含めてところどころで粗さが目立つが、ステージ上の敵の配置やギミックの仕様、特殊武器の挙動など丁寧に作り込まれており、全体としてみると非常に完成度が高い。
パラッパラッパーにおける能動的要素の問題点
1 はじめに
ゲームにおける能動性は肯定的な文脈で論じられることが多い。論じ方は論者によって様々であるが、その根底には、受動的なゲーム要素からの脱却という視点があるのだろう*1。一方で、そのような能動的であることを評価する見解に対して批判が向けられることもしばしばあるが、大抵は、受動的要素を評価する立場から能動的要素の問題点を指摘するような的確な批判ではなく、論そのものに対する攻撃にとどまることも少なくない。
では、要素が能動的であるが故に生じる問題はないのだろうか。紙幅の関係、もとい筆者の気力との関係で、本稿では、「パラッパラッパー(PS1)」における能動的要素に対象を絞って、その問題点について検討する*2。
はじめに断っておくが、本稿は、ゲーム要素の能動性と受動性のいずれか一方に批判を加えるものではない。ましてや、いずれか一方を重視すべきと主張するものでもない。
2 パラッパラッパーにおける能動的要素の特徴
元祖音ゲーとして有名な本作には、他の音ゲーとは大きく異なる特徴がある。多くの音ゲーでは、高いスコアを獲るためにはノーツに合わせてとにかく正確にボタンを押さなければならない。これに対して、本作では、表示される譜面をベースにアレンジを加えてボタンを押すと、上手くアレンジできていると評価されれば高いスコアを獲得できるというシステムとなっている(アドリブシステム)*3。
ここで、前者の性質が、専らゲームから提供される課題(ノーツ)への対処であり、対処できなければ環境(スコア)が悪化するという点で受動的であるとすると、後者の性質は、課題が抽象的かそもそも存在せず、アレンジするか否かはプレイヤーの選択に委ねられており、アレンジしなかったからといって環境が悪化するわけではないという点で能動的であるといえる*4。
本作の興味深い点は、このアレンジに対する評価基準がきちんと存在していながらも、その基準が伏せられている上に、何度遊んでも基準が良く分からないというところにある(もっとも、後述するように最高評価の出し方は確立されているのだが)。アレンジに対する評価基準が明らかになってしまうと、ハイスコアを狙うプレイヤーは、その評価基準通りのボタンの押し方ができるかという遊び方しかしないようになってしまい、結局、画面上にノーツが表示される状態と変わらなくなってしまう。評価基準が良く分からないからこそ、アレンジをするか否か、アレンジをするとしてどのようなアレンジをするのかといったことをプレイヤーが考える余地が生まれるのであり、プレイヤーの能動的行動を誘発する。
3 評価点の検討
ここからは本作におけるアドリブシステムの具体的な検討に入るが、能動的であるが故の問題について検討するに先立って、能動的であるが故の良さについても簡単に触れておこう。本作のレビューとして、あっさりと「アドリブが楽しかった」と評価されることがあるが、この要素のどのような点に魅力があるのかをもう少し詳細に言語化したい。
⑴ 表現欲求
表現欲求と呼ぶか自己実現欲求と呼ぶか名称はともかく、人間は自己の思考や感覚、自分らしさを外部に発露させたいという欲求を持つ。本作ではアドリブによって自分なりのリズム感をラップに乗せて表現することができるため、プレイヤーの表現欲求を満たす。
⑵ 一回性
ノーツに合わせてタイミング良くボタンを押す形式の音ゲーでは、基本的に表示される譜面やノーツの順序は毎回同じである。そのため、プレイヤーはプレイする度に、何度も繰り返し同じ体験をすることになる。
他方で、本作のように譜面をアレンジしてボタンを押す形式では、アレンジの方法にほとんどルールはないため、毎回全く同じアレンジを再現しようとしない限り、プレイごとに自然とアレンジの方法に差が生じる。或いは、前回のプレイでアレンジが上手いと評価されなかったために、前回とは異なるアレンジを試してみるといった具合に、プレイヤーの意思でアレンジの方法を変えることもある。つまり、アドリブシステムという要素によって、プレイヤーはプレイごとに少しずつ違った体験をすることができるようになっている。
⑶ 駆け引き
本作のスコアに関するシステムについて、アレンジが上手いと評価されるとスコアが高くなるが、反対に、下手だと評価されるとスコアが下がるという仕様となっているところ、上述のとおり評価基準は不明であるため、アドリブにはスコアが上がるのか下がるのか分からないという不確定性がある。
その一方で、表示される譜面に従ってプレイすれば一定のスコアが保証されており、プレイヤーは安全策として、元の譜面通りにボタンを押すという選択をすることができる。
つまり、表示される譜面から外れてアレンジをするという行動にはリスクとリターンの構図が存在し、ここに一種の駆け引きが生まれている。
⑷ 快適性
人が持つ感性はそれぞれ異なる以上、どれだけ綺麗な譜面が組まれたとしても、プレイヤーが持つリズム感が譜面のリズムに合わないということも往々にしてあり得る。ノーツに従ってプレイする音ゲーでは、基本的にそこで生じる違和感を解消することができないが、アドリブシステムによると専ら自分の感性に従ってリズムを刻むことができるため、違和感なく音楽とゲームを楽しむことができる。
⑸ 小括
本作のアドリブシステムは、音楽に合わせてリズムに乗るという人間が本能的に行う行動を、ダイレクトにゲームに落とし込んだものであり、ゲームが譜面を与える形式よりも自然な形で、プレイヤーはリズムに乗る楽しみを感じることができる。
なお、以上で挙げた点はあくまで能動性に起因するものに限定しており、本作全体として評価すべき点はこれだけにとどまらないが、本稿では割愛する。
4 問題点の検討
それでは、アドリブシステムの問題点はどこにあるのか。能動的要素、すなわちゲームの主導権(の一部)をプレイヤーに認める要素が、プレイヤー又はゲームそのものに及ぼす弊害について検討する。
⑴ 遊びやすさ
ボタンを押すタイミングがゲームから与えられたノーツに依存する場合、プレイヤーが合目的的に取り得る行動はタイミング良くボタンを押すことのみであり、ルールとして極めてシンプルで分かりやすい。プレイヤーはどのような行動をとれば成功又は失敗となるのかを直感的に把握することができ、プレイヤーがとるべき行動が明確であるため、ゲームは万人にとって遊びやすく熱中しやすいものとなる。
これに対して、アドリブシステムの下では、プレイヤーがどのような行動をとるかはプレイヤー自身が考えて決定しなければならないのであり、プレイヤーがとるべき行動というものが明確に存在するわけではない。そのため、プレイヤーによってはそもそも何をすればいいのかが分からず、或いはどのようにアレンジするかを考えることを放棄してしまい、適当にボタンを押すようになる等アドリブを断念してしまう。
プレイヤーがゲームに対して主導権を持つということは、裏を返せば、プレイヤーが主導しない限りゲーム(要素)の魅力を引き出すことができないということであり、その前提としてプレイの内容を能動的に考えることが要求される。特に本作の場合は、アドリブでメロディーを創るというゲーム要素であるため、よりクリエイティブな思考がプレイヤーに求められる。
しかし、与えられた課題に対してどのように対処するかを考える受動的な思考であればともかく、創造力や発想力が直に必要となる能動的な思考を全てのプレイヤーが容易にできるわけではない。また、せっかくの娯楽であるため難しいことを考えずにゲームをプレイしたいと考え、能動的な思考をすることを忌避するプレイヤーもいるだろう。つまり、能動的に思考するというプロセスは、それ自体がプレイヤーにとって1つのハードルとなり得る。そして、このハードルがプレイヤーに遊びにくさを感じさせる原因となる。
ただし、この思考のハードルは、能動的要素に制約を課す又はベースラインを設定することにより縮小することが可能である。本作でも、基本的にアドリブで最初に押すボタンはお手本と同じでなければならないという縛りがある上に、画面上に表示される譜面をベースにすることができるため、プレイヤーに要求される思考の強度が大きく緩和されており、基準となるものが何もない状態で完全な自由演技をするよりも遊びやすくなっている。
要素の能動性をどこまで強くするかによってゲームの遊びやすさが変化し、プレイヤーのプレイに対するモチベーションや作品の印象にも少なからぬ影響を及ぼす。万人受けする作品を作ることが必ずしも正解であるとは思えないが、仮に能動的要素を取り入れつつ広く一般に遊ばれる作品を作ることを目指すのであれば、この思考のハードルについてきめ細やかな調整が必要となるだろう。
⑵ 周回性
遊びやすさについての議論が1回のプレイ内で生じる問題であるとすると、繰り返しプレイする上で生じる問題として、プレイヤーがどれだけ長くゲームを遊ぶことができるかが議論の対象となる。
プレイヤーにゲームを長く遊ばせるための1つの方策として、ゲームを高難易度にしてクリアできるまで何度も挑戦させるということが考えられる。多くの音ゲーでは難易度の調整が可能であり、ノーツの密度を高めることや運指が難しくなるようにノーツを配置することで高難易度の譜面を生み出すことができる。高難易度譜面はプレイヤーの達成欲求を刺激し、プレイヤーはクリアするまで何時間でも同じ譜面で遊ぶことができる。
他方でアドリブシステムの下では、具体的な譜面の設定はプレイヤーの役割であるところ、基本的にはプレイヤーがプレイ中に譜面を即興で考えて、そのとおりにボタンを押すだけであるから、通常のプレイ方法では達成欲求が生じにくい。
また、表現欲求又はアドリブの評価との関係で、プレイヤーによっては、気に入った/評価が高いアレンジができるようになるまで何度もプレイして試行錯誤をすることが期待できるようにも思えるが、あくまでアレンジでありバリエーションにも限りがある以上、期待されるプレイ回数も限定的であるし、そもそもそのようなプレイヤーがどれほど存在するのか疑問である。
アドリブシステム単体が持つ周回性は、受動的要素のそれと比較すると相対的に低いと考えられる。
⑶ システム調整の難しさ
本作は、巷では「連打ゲー」と呼ばれることがある。これは、プレイ中に一定のスコア(評価「COOL」)を達成すると、お手本や譜面の表示が消えた状態でプレイヤーが完全な自由演技をするモードに突入するのだが、ここで高いスコアを出すためには単純にボタンを連打するという攻略法が有効であることに由来する*5。本来このモードでは、プレイヤーが制限なく自由にアドリブを楽しみながら上手なアドリブを目指すことが期待されているようだが、実際には、連打という抜け道的な方法が攻略法として確立してしまっている*6。
これにはいくつかの原因が考えられるが、1つには、上述した思考のハードルと遊びやすさの問題がある。数十秒から長ければ数分間にわたって基準にするものが何もない状態でアドリブをする、すなわちオリジナルの譜面を考えて生み出し続けることは、プレイヤーに強度の思考を強いるものである。そこで、このハードルを回避する手段として、思考のプロセスを経ず、誰でも簡単かつ楽に実践できる攻略法が確立してしまった。
しかし、このようなゲームが本来想定していたものと異なる攻略法が確立した原因は、プレイヤー側のみにあるわけではない。ゲーム側の問題として、アドリブ評価基準の調整が不十分であることも原因の1つである。すなわち、そもそもアドリブとはおよそ認められないプレイに対しては高い評価をつけないようゲーム側でシステムを調整していれば、連打という抜け道が確立することはなかったといえる。
もっとも、これはあくまで理想論であり、現実的にはそのような調整をすることは容易ではないと考えられる。受動的要素の場合、プレイヤーはゲームに与えられた課題に対処するのみであるから、基本的にプレイヤーはゲームが想定するとおりに行動するが、プレイヤーに能動的な行動を認める場合には、その程度にもよるが、ゲームがプレイヤーの取り得る全ての行動を想定できるわけではなく、プレイヤーを完全にシステムのコントロール下に置くことは困難である。そのため、プレイヤーの能動的な行動に対する反応の調整も難しく、本作のように単なる連打に対して高評価という反応を返してしまうといったことが生じる。つまり、能動的要素には、システム調整を不完全なものとしてしまう危険が内在しているといえる*7。
5 おわりに
以上、本作における能動的要素が能動的であるが故に生じる問題点について検討した。プレイヤーにゲームへの能動的な参加を求める要素を搭載したとして、プレイヤーがその要素を楽しむことができるかという問題と、その要素を通じてゲームに参加できるか、いつまで参加し続けられるかという問題は異なる問題である。
特に、最近では娯楽が増えすぎた結果、作品の面白さを十分に発見する前にグラフィック等の表面的な要素だけに着目してプレイを放棄してしまうプレイヤーも散見されるところであり、より遊びやすく作品の面白さを早く伝えやすいデザインの重要性が増していると考えられる。
能動的要素が受動的要素とは異なる魅力を持つことは間違いないが、能動性を強めることによる弊害も作品ごとに適切に評価されるべきであろう。
本記事で引用した画像の著作権者の表示
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*1:私見では、能動的な部分と受動的な部分は1つのゲームの中で混在し得るため、「受動的なゲーム」という表現は正確ではなく、あくまで要素レベルで能動的か受動的かを判断するという趣旨で「受動的なゲーム要素」という表現をしている。
*2:本稿で問題にしている能動性は、ゲームと映画を区別する、自分で操作するか否かという意味での能動性とは次元が異なる。
*3:厳密には、本作では「スコア」と「評価(GOODやCOOL等)」が分かれており、ステージのクリアに関係するのは「評価」であるが、本稿では便宜上スコアと混同して扱う。
*4:ゲーム要素の能動的/受動的の区別については、次の論稿(http://hp.vector.co.jp/authors/VA008837/docs/cgt/note6.htm:執筆者不明)で提示された基準が明解であったため参考にした。
*5:詳しく知りたい方はYouTube等のプレイ動画を参照されたい。壊れたパラッパを見ることができる。
*6:『パラッパラッパー』誕生秘話満載! 松浦雅也&吉田修平スペシャル対談・完全版を独占公開! – PlayStation.Blog 日本語
*7:もっとも、バグ技やゲームバランスを崩壊させる要素のようなシステム調整が十分でないからこそ生まれる要素も、それはそれとして面白みを感じ得るため、システム調整が不完全であることが必ずしも失敗であるとはいえないだろう。
マリーのアトリエ(PS)レビュー
評価(5段階)
ストーリー ☆☆☆
システム ☆☆☆
作りこみ ☆☆☆☆
サウンド ☆☆☆☆
難易度 ☆☆
総合 ☆☆☆☆
良かった点
シンプルな構成でゲームのテンポが良い


本作では、「調合・採取・戦闘」の3要素を柱にゲームが構成されている。依頼を受けてアイテムを調合し、調合に必要な素材を採取し、調合したアイテムを使いながら敵と戦闘する。イベントや依頼をこなして採取できる場所や調合できるアイテムを増やす。これをひたすら繰り返すというシンプルなゲームである。
ゲームの形式は、ときメモなど初代プレステのシミュレーションゲームによく見られるもので、ほとんどコマンド選択のみで操作が完結する、1つ1つの要素が単純で分かりやすい、たびたび発生するイベントも短く簡潔でゲームの流れを邪魔しないといった特徴がある。
この単純さ、簡潔さこそがゲームのテンポを形作る上で重要であり、例えばイベントやゲームの要素をやたら大量に盛り込む、事あるごとに凝ったアニメーションを挿入するなどの工夫は、作り込みの観点からは評価できるものの確実にゲームのテンポを悪くし、プレイヤーがストレスを感じる原因となる。
この点、本作では、ゲーム内の要素が全て単純、簡潔であるが故に、調合→採取→戦闘のサイクルをサクサク進めることができ、非常にテンポ良くゲームが進行する結果、ストレスなく時間を忘れてゲームに熱中することができる。
マルチエンディングで周回プレイも楽しい
エンディングについて、初見で遊んだプレイヤーの多くが迎えるであろうノーマルエンドに加えて、特定のレアアイテムを調合することが条件のエンディングや戦闘を頑張って強ボスの討伐に成功したことが条件のエンディングなど、エンディングが複数用意されている。
そもそも本作ではクリア条件が設定されておらず、ゲーム内で5年経過したら強制的にエンディングを迎えるというシステムになっている。そのため、プレイヤーは5年間ひたすら調合を頑張るもよし、積極的に戦闘してレベル上げをするもよし、ただただサボり続けるもよし、といった具合に、ゲームの遊び方にかなりの裁量が与えられており自由度が高い。
そして、それぞれの遊び方や条件の満たし方によって迎えるエンディングが変わるため、別のエンディングを回収するためには1週目とは異なる遊び方をする、より効率的に攻略するなどの工夫が必要となり、2週目以降も楽しめる仕様になっている。
また、いくつかのエンディングでは、バッドエンドとまでは言えないが、やや引っかかる終わり方をするため、別のより良いエンディングを見たい=もう1週遊びたいという気持ちにさせてくれる。
気になった点
戦闘要素の作り込みが微妙
戦闘要素について、3Dの盤面を活かした独特な戦闘システムであることに加え、攻撃や回復、補助効果があるアイテムを調合して戦闘で使えるという特徴があり、一つのRPGとしてしっかりと楽しむことができた。
もっとも、戦闘要素の作り込みに関しては気になった点もある。
戦闘では基本的に、主人公の他に仲間を2人選んでパーティを作る。仲間にできるキャラはイベントをこなすたびに徐々に増えていくのだが、特に途中で追加されるキャラについて既存のキャラとの性能差をそこまで感じられず、追加されたキャラを使うメリットをあまり感じられなかった。
また、武器や装備の種類についても、隠し武器を含めても数種類しかないため、標準的なRPGと比べるとやや見劣りする。
ただし、本作における戦闘要素があくまでメインとなる3要素のうちの1つであることを考えると十分過ぎるほどのクオリティであると思う。
イベントを回収しづらい仕様
本作では、登場する各キャラにそのキャラを掘り下げるイベントが用意されており、あくまで調合依頼のオマケ的な要素ではあるものの、イベントを通じてゲームの穏やかな世界観をより楽しむことができる。
もっとも、何をすればイベントが発生するかはゲーム内で説明されず、発生条件もやや複雑であるため、攻略サイトなどを見ずに普通にプレイしているだけでは多くのイベントを回収できないまま終わってしまう仕様になっている。
イベントの発生が事実上ランダムになることによる面白さはあるものの、せっかく多数のイベントが用意されており、イベントによっては専用BGMも設定されているだけに、イベントを回収しづらいことにもったいなさを感じた。
総評
テンポ良くたんたんと調合や採取、戦闘のシミュレーションを楽しむことができるため、時間を忘れて攻略に没頭できるゲームである。スローライフを体験できるRPGはいろいろあるが、その中でもよりシステムのシンプルさを求める方にオススメできる。
なお、2024年現在では本作のリメイク版が発売されており、基本的なシステムはそのままに、グラフィックをはじめ複数の要素が現代向けにアレンジされたようである。
新しくなった本作ももちろん面白いだろうが、レトロな絵柄や雰囲気を楽しむことができる点で無印版にも今なお魅力がある。
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